展覧会の後で
先週の土曜日でギャラリーでの5人展が終わった。
ちょっと寂しい。
先週は落ち込むような事件があって、
でも学ぶこともあって、
自分についてよく知る機会にもなった。
ナイーブであるということ。
それはもう年齢に関係なく成長することもなく、
きっと自分らしさそのものなのだと思う。
だけど、それを気をつけることはできるので、
知っておいてよかったと思う。
自分の身を守るためにも。
なぜかそんなときに本屋でジル・ド・レの本が目に留まって
今読んでいるんだけど、
すごく面白い。
残酷なことに対するあこがれ。
それは被害者の側からその人を見た恐ろしさ。怯え。
そして加害者であるその人物を知りたいという欲望。
本の中でその人の肌の中に入ることができる。
中世という人間がもっとずっと野蛮であった時代。
残酷なことがとても不思議。
正常という枠を超えるということ。
私は作品の中でとても残酷になる。
そして世の中の残酷を訴える。
作品を作る側としての加害者になって、
そして同時に被害者を形にして訴えかける。
ユイスマンスとバタイユもジル・ド・レについて書いている。
読んでみたい。
ハンガリーのエリザベート・バートリーと同じように
ジル・ド・レにも惹かれる。
私はどちらかというと社交的だし、
そして人間的にも道理とか道徳的なこと
大事にする方だ。
だけど、時々自分の陰の部分にびっくりする。
それは欺くようでいて、私の人格の中で調和してそして共存してる。
ルイーズブルジョワの
Art is a guaranty of sanity
が、自分にはアートに対して一番しっくりくる言葉であることを
また確認する。
時には確信犯的であったりしても、
もっとも自然な形で狂気が形になって外に出る手段なんだと思う。
http://michiko-horie.jimdo.com/
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ちょっと寂しい。
先週は落ち込むような事件があって、
でも学ぶこともあって、
自分についてよく知る機会にもなった。
ナイーブであるということ。
それはもう年齢に関係なく成長することもなく、
きっと自分らしさそのものなのだと思う。
だけど、それを気をつけることはできるので、
知っておいてよかったと思う。
自分の身を守るためにも。
なぜかそんなときに本屋でジル・ド・レの本が目に留まって
今読んでいるんだけど、
すごく面白い。
残酷なことに対するあこがれ。
それは被害者の側からその人を見た恐ろしさ。怯え。
そして加害者であるその人物を知りたいという欲望。
本の中でその人の肌の中に入ることができる。
中世という人間がもっとずっと野蛮であった時代。
残酷なことがとても不思議。
正常という枠を超えるということ。
私は作品の中でとても残酷になる。
そして世の中の残酷を訴える。
作品を作る側としての加害者になって、
そして同時に被害者を形にして訴えかける。
ユイスマンスとバタイユもジル・ド・レについて書いている。
読んでみたい。
ハンガリーのエリザベート・バートリーと同じように
ジル・ド・レにも惹かれる。
私はどちらかというと社交的だし、
そして人間的にも道理とか道徳的なこと
大事にする方だ。
だけど、時々自分の陰の部分にびっくりする。
それは欺くようでいて、私の人格の中で調和してそして共存してる。
ルイーズブルジョワの
Art is a guaranty of sanity
が、自分にはアートに対して一番しっくりくる言葉であることを
また確認する。
時には確信犯的であったりしても、
もっとも自然な形で狂気が形になって外に出る手段なんだと思う。
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by mittiparis
| 2011-03-04 06:46
| Art